2018年6月29日金曜日

Hold It(猫じゃ猫じゃ)

監督:デイヴ・フライシャー
公開日:1938年4月29日
評価:★8

『猫が叫ぶと世界が止まる』


『カラー・クラシック』第23作。公開前月に、フライシャー・スタジオはスタジオ初の長編作品『ガリバー旅行記(Gulliver's Travels)』の製作に向けて本拠地をニューヨークからフロリダ州マイアミに移している。
この作品はスタジオがマイアミに移転してから初となる『カラー・クラシック』だが、ニューヨーク的なノリがまだまだ健在、なかなかの傑作に仕上がっている。
作画はデヴィッド・テンドラー、後身のフェイマス・スタジオでも20年以上に亘って作画に携わるニコラス・タフリ。両者とも後期フライシャー・スタジオ、そしてフェイマス・スタジオを代表する存在である。

真夜中に家から追い出されてしまった猫たちが裏庭に集まり、楽しくジャズに興じる。指揮を執る黒猫が『Everybody Hold!(止まれ!)』と叫ぶと、不思議なことに音楽も、猫も、木から落ちるリンゴも、何もかもが止まってしまう。
猫たちはこの騒ぎで目を覚ましてしまった犬に追いかけられるが、『止まれ!』の合図を猫たちが叫ぶと犬も止まる。これを利用して猫たちは犬を散々にやっつける。後年のテックス・エイヴリーを連想させるこの格闘シーンはギャグのタイミングもアイデアも素晴らしく、この作品が傑作たる所以である。
終いにはこてんぱんにやられてしまった犬を横目に、猫たちは勝利の歌を高らかに歌うのだった…が、今度は目を覚ました人間にやっつけられてしまうのだった。

猫が奏でるコーラスや軽快な劇伴音楽も楽しい本作だが、見どころはやはり『猫が叫ぶと周りにある物が全て止まる』という素晴らしくバカげた、そして魅力的なアイデアだろう。『インク壺』以来、何度も用いられてきた楽屋オチ的ギャグの一環でもある。中でもダイナマイトを加えさせた所で犬を停止させ、ダイナマイトの口火だけが動いて大爆発を起こすというギャグの、その痛快さ。
チャカチャカ動くアニメーションは、30年代終盤にしては少々古臭い。だが、冒頭のステレオプティカル・プロセスを用いたシーンの美しさは格別で、ギャグに満ちたこの作品の良きスパイスとなっている。『シリー・シンフォニー』の亜流じみた作品が目立つこのシリーズの中で、こうしたギャグ物の傑作が生まれたのは驚くべき事である。恐らくシリーズ唯一とも言えるのではないだろうか。
アニメーション研究家の森卓也氏も、名著『アニメーション入門』でこの作品を取り上げ、称賛されている。



※収録DVD:Max Fleischer's Color Classics: Somewhere in Dreamland

2018年6月27日水曜日

Dancing on the Moon(月へハネムーン)

監督:デイヴ・フライシャー
公開日:1935年7月12日
評価:★7

新婚旅行は月で!ユニークなアイデアが魅力的な作品


『カラー・クラシック』第6作。当時ディズニーが三色式テクニカラーを独占していたため、本作は発色が劣る二色式テクニカラーで撮影されている。とはいえ、この作品はかなり状態の良いプリントが現存しており、三色法にも劣らない鮮やかな色彩が楽しめる。
作画は、後にフェイマス・スタジオの代表的な演出家となるシーモア・ネイテルと、『ベティの白雪姫(Snow White)』を始めとする多くのフライシャー作品に携わったローランド・クランドル。2人は当時フライシャー・スタジオのヘッドアニメーターで、ウィラード・ボウスキーやマイロン・ウォルドマンらと共に30年代のスタジオを代表する存在であった。

『月(ムーン)でハネムーンを』と、新婚夫婦たちが主題歌の『Dancing on the Moon』を歌いながら次々と月行きの宇宙船に乗り込んでいく。遅刻してしまった猫の夫婦も慌てて宇宙船に乗ろうとするが、むりやり乗り込もうとしたところでロケットが発車してしまった。宇宙船から振り落とされてしまった花嫁は激怒、宇宙船に取り残されてしまった花婿は一人寂しくトランプなどをして過ごすのだった。
宇宙船は宇宙空間をどんどん突き進んでいき、あっという間に目的地の月に到着。そこでは、見渡す限りの壮大な月世界風景が広がっていた。カップルたちは月世界での甘いひと時を楽しんでいたが、猫の花婿だけは一人悲しそうに座り込んでいるのだった。新婚夫婦たちがダンスを嗜んでいる時も、猫の花婿は寂しく一人で踊る他はなかった。
ダンスの時間が終わると、宇宙船は地球へと舞い戻る。ハネムーンには赤ちゃんが付き物、コウノトリが地球に帰ってきた夫婦たちへ子供をプレゼントするのだった。
ところが花嫁を連れて行けなかった猫の花婿のもとには子供が訪れず、彼は途方に暮れてしまう。そして、花婿の帰りを待っていた花嫁が駆け寄ってきて、哀れな花婿をぼこぼこに殴り倒してしまうのだった。

少々猫の花婿が不憫すぎる気はするが、『カラー・クラシック』にしては珍しく作品全体にユーモアに満ちており、楽しい一編である。何より、『ハネムーン』を文字通り『月旅行』に仕立て上げるという、フライシャーらしいユニークなアイデアには感嘆するばかりだ。また、『天の川(Milky Way)』で牛が乳を絞られていたり、月がまるであの『月世界旅行』のような姿になるなど、シニカルなギャグも随所に散りばめられており、こちらも面白い。
本作でも立体模型を用いたセットバック撮影(ステレオプティカル・プロセス)が採用されており、作品に素晴らしい遠近感を与えている。新婚夫婦たちがダンスを踊るシーンでの月世界の風景は特に魅力的で、この撮影技法の良さが最大限に発揮されたといえるだろう。
アニメート技術は、30年代中期のフライシャーとしては水準程度。いかにも『1930年代のカートゥーン』な動物キャラたちが、かわいく動き回るのが楽しい。



※収録DVD:Max Fleischer's Color Classics: Somewhere in Dreamland

2018年6月23日土曜日

Little Dutch Mill(丘の風車小屋)

監督:デイヴ・フライシャー
公開日:1934年10月26日
評価:★6

オランダの風車小屋にまつわる、ある騒動を描く


フライシャー・スタジオがディズニーの「シリー・シンフォニー」に対抗して1934年に開始したシリーズ『カラー・クラシック』の第二作。当時ディズニーが三色式テクニカラーを独占していたため、独占契約が切れた1936年度までの作品は発色が劣る二色式テクニカラーで撮影されており、この作品もその中の一作である。(第一作の『ベティのシンデレラ(Poor Cinderella)』のみシネカラー)
作画は30年代の同スタジオを代表する作画スタッフのウィラード・ボウスキーと、後に多くのカラー・クラシックの作画を担当するデヴィッド・テンドラー。汚い身なりをした風車の持ち主の、荒々しい動きが見もの。

舞台はオランダの平和な村。ある2人の少年少女と可愛いアヒルが、丘の上にある風車小屋の周りで楽しく遊んでいた。ところがその風車小屋の持ち主は、ずるをしては金を稼ぐ事を生きがいとする汚い身なりをした男。男がお金を小屋の中に貯め込んでいるのを発見した2人は、男に捕まってしまう。アヒルは慌てて村の大人たちを呼び、男は無事に捕まった。村の人々は男の身なりをきれいにし、小屋の中も隅々まで掃除した。
するとどうだろう。あんなに下品だった男の身なりはすっかり綺麗になり、あんなに汚かった小屋の中も美しく蘇った。男は村の人々に感謝し、貯めこんでいたお金をみんなに分け与えるのだった。

本作では立体模型を用いたセットバック撮影がふんだんに取り入れられており、フライシャー独特の迫力を生み出しているのが素晴らしい。優れた音楽や背景美術もオランダの牧歌的な雰囲気をうまく演出しており、なかなか好印象な作品である。同じく『風車小屋』を作品の主題としたディズニーの『風車小屋のシンフォニー(The Old Mill)』(1937)と対比するのも一興だろう。
ただ、―これは『カラー・クラシック』短編のほぼ全てに言える事なのだが―作品内にユーモアが欠如しておりあまり楽しくないのが残念。1934年以降、フライシャー・スタジオはディズニーの影響を受けて徐々に作風が変化していき、初期にあったシュールな魅力が少しずつ失われていくのである。



※収録DVD:Max Fleischer's Color Classics: Somewhere in Dreamland

2018年6月21日木曜日

The Old Mill(風車小屋のシンフォニー)

監督:ウィルフレッド・ジャクソン
公開日:1937年11月5日
評価点:★10

圧倒的なビジュアルで描き出される自然の美しさ


『カートゥーンの黄金時代』が産声を上げた直後の1929年より製作が開始され、数々の技術革新、そして作品としてのクオリティの高さにより1930年代におけるカートゥーン界を牽引してきた歴史的な短編シリーズ『シリー・シンフォニー』。
その中でもひと際輝いた魅力を放ち、アニメーション史に残る傑作に数えられるこの美しい短編は、同シリーズ第68作・シリーズ後期にあたる作品である。
監督は、これまでにも同シリーズで数々の名作の演出を担当してきたウィルフレッド・ジャクソン。音楽とアニメーションの見事な融合にかけては、この監督に敵う演出家はいなかったであろう。


のどかな田園の奥に、古びた風車小屋が聳え立っている。もう既に使われなくなって久しい小屋の中では、鳥や獣たちが思い思いの生活を営んでいた。夜になると蛙たちが軽快な合唱を始める。彼らの声に合わせるかのようにコオロギが鳴き始め蛍が飛び交い、辺り一面は小さな演奏会と化すのだった。
その時、夜空が瞬く間に雲に隠れ、雨が降り出した。嵐が始まったのだ。風車小屋では歯車が激しく音を立てながら回り始め、植物たちは悲痛な演奏を奏で、風車小屋に棲む動物たちはひたすら自然の脅威に耐えていた。そして突如雷が風車小屋に直撃し、風車小屋は大きな音を立てて半壊してしまうのだった。
嵐が止み夜明けが訪れると、そこには嵐が起こる前と何ら変わらない生活を営む動物たちの姿、そして美しい自然の姿があった。


この作品を語る上では、ある特殊な装置の存在をまず最初に知っておく必要がある。
1937年、ウォルト・ディズニー・プロダクションに所属する録音技師ウィリアム・ギャリティは、初のカラー長篇アニメ映画『白雪姫』の製作に向けて、ある特殊な撮影台を開発した。マルチプレーン・カメラである。この装置は複数枚のセル画を複数の層(プレーン)に設置し、それぞれを異なったスピードで動かすことで作品に立体感を生み出すという画期的な代物だった。
既に1926-27年頃にロッテ・ライニガー、1933-34年頃にはアブ・アイワークスが似た機構の立体撮影装置を開発してはいたが、ディズニーはこれらの装置を更に改良し、作品のリアリティを飛躍的に高めようと目論んだのであろう。また1934年には当時ディズニーの最大のライバルであったフライシャー・スタジオがステレオプティカル・プロセスという立体撮影装置を開発している。こちらは平面のセルの奥に、背景として立体模型をセットし撮影するという方式(セットバック撮影)で、ディズニーのマルチプレーンとは少し毛色の異なる技術だった。
この作品ではそのマルチ・プレーンカメラによる撮影がスタジオ内で初めて取り入れられ、『白雪姫』に先行すること一か月前に公開された。言わば『マルチプレーン・カメラのテスト作』なのである。
この装置を用いて撮影された場面、特に冒頭の風車小屋を取り巻く遠景、そして風車小屋が嵐に翻弄されるシーンは、公開から80年を経た現在でも圧倒的な美しさを放っている。

この作品が製作された1937年当時のディズニー短編は、写実性、抒情性の両面で絶頂期に入っており、一種の芸術作品の域に達していた。アニメーションの楽しさが圧倒的なリアリズムによって表現され、その素晴らしさは現在観ても全く見劣りしない。この作品も例外ではないが、ディズニー作品の中でもかなり『写実性』に重点が置かれている点で一線を画す。
全編通して自然描写に徹しており、劇的なストーリーは持っておらず、ギャグも皆無に等しい。もしかすると人によっては退屈に思える内容かもしれない。だが、私はこの作品を見る度に、この素晴らしく迫力のあるアニメーションと音楽によって描き出される自然の美しさと脅威にひたすら圧倒され、魅了されるのだ。『白雪姫』の美術を手掛けたサム・アームストロングによる絵画のように美しい背景美術も、この作品の大きな魅力と言える。
アニメート技術が飛躍的に向上し、夢の世界が圧倒的な説得力を持って描き出されていた1930年代後半のカートゥーンを代表する、アニメーション史に燦然と輝く名作である。



※収録DVD:シリー・シンフォニー 限定保存版 (初回限定) [DVD]

2018年6月15日金曜日

Congo Jazz(混合ジャズ)

監督:ヒュー・ハーマン&ルドルフ・アイジング
公開日:1930年4月19日
評価:★5

ボスコがジャングルの動物たちと楽しくダンス


黒人少年ボスコを主人公としたシリーズ『ルーニー・テューンズ』第2作。作画はカーマン・マックスウェル、後にウォルター・ランツのスタジオに移籍し数多くの作品を監督するポール・スミスの2人である。2人はヒュー、ルドルフと同じくディズニー出身であり、『アリス・コメディ』といった初期シリーズの製作に携わっていた。
となると、この作品がサイレント期におけるディズニーそっくりの作風となるのも当然。事実この時期のボスコの動きやパーソナリティーは『オズワルド』そのものである。ストーリーラインもどことなくディズニーの『Africa Before Dark』(1928)や『Jungle Rhythm』(1929)を想起させる物となっている。

あらすじはシンプルで(この作品のメインはあくまでも音楽なのである)、狩りに来たボスコが猛獣に襲われそうになるが、音楽を奏でる事によりなんとか助かり、ラストは動物たちと一緒に軽快なジャズセッションを愉しむ、というもの。
アニメーションは良く出来ており音楽も愉快だが、ギャグや独創性、そしてキャラクターの個性に乏しく少し退屈な印象を受ける。これは同時期のルーニー・テューンズ、そしてハーマン=アイジング作品のほとんどに言える事であった。楽しいが、とにかく平凡でオリジナリティに欠けるのである。

この作品の見どころは、ラストの愉快なジャズセッションである。ディズニーとは異なり、音楽担当のフランク・マーセルズはワーナー・ブラザーズが権利を持つポピュラー音楽をBGMにふんだんに取り入れる事ができた。この作品でも、『Giving It This and That』という1930年に発表された軽快なジャズソングがラストで使用される。



※収録DVD:Looney Tunes Golden Collection Vol.6

2018年6月11日月曜日

Silly Scandals(ビン坊の寄席見物)

監督:デイヴ・フライシャー
公開日:1931年5月23日
評価:★7

歌うベティと幻想的なクライマックスに見惚れる一作


『トーカートゥーン』第22作。ベティ・ブープもこの頃になるとビン坊に代わるスタジオの新たなスターとなり始めており、本作でも1930年にヒットした『You're Driving Me Crazy』を一曲披露してくれる。この作品の見どころは、ずばりこのベティの歌声と、後述するクライマックスの名シーンの2つに尽きるのである。

寄席(ヴォードヴィル)のポスターを街中で見かけたビン坊は、お金が無いのでどさくさに紛れて劇場に潜入する。これが本当の"びんぼう"なんちって… 舞台からベティが登場し、名曲『You're Driving Me Crazy』を披露。ビン坊は客席からベティと一緒に歌い出し、他の観客たちに睨まれてしまう。
続いて手品師が登場するのだが、ビン坊が彼の手品を見て大笑い。怒った手品師は催眠術を使ってビン坊を舞台へ誘導し、ビン坊は様々な魔術をかけられてしまう。終いには頭をポカリと一撃され、映像もサイケデリックに一転、目まぐるしいテンポで変化するアニメーションの中で先程の『You're Driving Me Crazy』を歌い上げるのだった。

この作品でもベティはセクシーさが強調されており、歌っている途中でドレスがずり落ちブラジャーが丸見えになる、なんていうギャグもある。また太ももにガーターベルトを付けているなど、現在知られているスタイルにぐっと近づいている。
そして何より、この作品の肝はシュールで幻想的なラストシーン。ビン坊の顔が分裂し結合し、次々に様々な形に変わっていく。ビン坊だけではなく、背景までもが目まぐるしく変化し動きまくる。まさにサイケデリックなアニメーションが次々に展開していくのだ。

ストーリーは平板で、作品前半では目立ったギャグやアニメ―トも少ない凡作なのだが、このラストシーンが素晴らしすぎるが故に、私にとってはシリーズ中で最も強烈な印象を残した作品の一つなのである。クレジットが散逸したために、作画者が不明なのがつくづく惜しい。私の予想ではシェイマス・カルへインやアル・ユーグスター辺りのような気がするのだが…どうなんだろう。(Wikipediaではグリム・ナトウィックが作画者となっているのだが、本当なんだろうか?)




(ルディ・ヴァリーが歌う『You're Driving Me Crazy』。当時人気絶頂だった彼は『スクリーン・ソングス』にも数多く出演していた)

2018年6月5日火曜日

Who Killed Cock Robin?(誰がコック・ロビンを殺したの?)

監督:デヴィッド・ハンド
公開日:1935年6月29日
評価点:★9

暗黒裁判を痛烈に風刺した、アダルトな傑作


シリー・シンフォニー第54作、シリーズ中期にあたる作品である。公開年は1935年、この年には他に『うさぎとかめ(The Tortoise and the Hare)』『音楽の国(Music Land)』『クッキーのカーニバル(The cookie carnival)』といった傑作群が立て続けに発表された。1930年代のカートゥーンを代表するこのシリーズも、30年代中期に差し掛かりまさに円熟の域に入っていたと言える。
本作の監督は、2年後に『白雪姫』を監督するデヴィッド・ハンド。シリー・シンフォニーではこれ以前にも幾つかの作品を演出しているが、彼のシニカルな一面が最もよく発揮されたのは、この作品と『プルートの化け猫裁判(Pluto's Judgement Day)』(同年公開)の2作だろう。

さて、本作はTVアニメ『パタリロ!』EDテーマの一節としても馴染み深い、有名なマザー・グースの詩『こまどりのお葬式』(Who Killed Cock Robin?)をモチーフとした物語。とはいっても原作の詩からは大きくかけ離れたストーリー仕立てとなっており、こちらは裁判所・警察機関への痛烈な風刺や美女が繰り出す色仕掛けの面白さが前面に出た内容となっている。結末もディズニーらしく、明るいハッピーエンド。

セクシーな美しいミソサザイ、ジェニーに一目惚れしたコック・ロビン。彼女にムードたっぷりな歌を捧げるが、何者かに矢で射られて殺されてしまう。裁判が始まったが、裁判長も警察も裁判官も、そして証言者であるジェニーまでもがどこか投げやりな態度。無実の罪に問われた容疑者たちが次々に酷い目に遭うのだが、そこへ真犯人が現れる。実は真犯人は恋のキューピッドで、コック・ロビンはただ気を失っているだけだったのだ!かくして暗黒裁判は終わりを告げ、二人は熱い熱いキスを交わすのだった。

全体を通して、非常に大人びたシニカルな作風となっている。特に、ハミルトン・ラスクが作画を担当したミソサザイ・ジェニーは、そのデザインや動きや性格、声に至るまで全てが色気に満ちている。既にヘイズ規制が施行されていた1935年に、こうしたキャラクターが登場した事には驚くばかりだ。本来こうした作風を得意としていたはずのフライシャーは、この時期すでに穏当な作風へと転換しつつあった…。

このキャラクターは当時少なからず大衆の人気を掴んだようで(本作品は35年度のアカデミー賞を受賞している)、翌年の『うさぎとかめと花火合戦(Toby Tortoise Returns)』『ミッキーのポロゲーム(Mickey's Polo Team)』にてカメオ出演を果たしている。

『首吊りだ!』と言ったセリフが当たり前のように飛びかい、セクシーなミソサザイが周りを色気で惑わせ、濃厚なキスに酔う。やりすぎ、というくらいに強調された警察の強気な姿勢、裁判のズッコケ感はどことなく批判精神まで漂わせている。数ある「シリー・シンフォニー」の中でも、ここまで大人向けに徹した作品はなかなか見当たらない。
とはいえこれはあくまでも楽しいミュージカル。フランク・チャーチルが手がけたキャッチーでブラックなテーマ曲に乗せて展開する、どこか間の抜けたドタバタ裁判劇を素直に楽しむのも一興だろう。そして、デヴィッド・ハンドの巧みな演出、魅力的なキャラクターの色気に酔いしれるのだ。



※収録DVD:シリー・シンフォニー 限定保存版 (初回限定) [DVD]

2018年6月3日日曜日

Felix Minds the Kid(フィリックスの子守)

監督:オットー・メスマー
公開日:1922年10月1日
評価:★4

子守りに奮闘するフィリックス


ウィンクラー時代初年度である1922年の作品。
エサをくれる代わりに1時間の子守りを頼まれたフィリックスは、赤ちゃんの子守りを始める。騒動を次から次へと巻き起こす好奇心旺盛な赤ちゃんに、フィリックスはほとほと手を焼く。と、フィリックスが目を離したすきに赤ちゃんは保育所に脱走してしまう。フィリックスは飴を使って赤ちゃんを連れ戻そうと企んだが、保育所にいた他の赤ん坊達も一緒についてきてしまい、誰が誰だかわからなくなってしまうのだった。

この作品、約8分と尺が長い割にはこじんまりとした作りになっていて、作画面でもギャグ面でも見どころが殆どなく、凡作と言わざるを得ないのが惜しい。現存するプリントの状態が極めて悪く、不鮮明極まりない画像となっているのも残念。
とはいえ赤ちゃんが風船のように膨らんで飛んでいくシークエンスの奇妙さ、大勢の赤ちゃんが一挙に集まるビジュアルのグロテスクさはなかなか面白い。



収録DVD:フィリックス Felix the Cat DVD BOX (DVD2枚組)

2018年6月1日金曜日

The Bum Bandit(ビン坊の列車強盗)

監督:デイヴ・フライシャー
公開日:1931年4月3日
評価:★6

ビン坊がベティ扮する謎の女と対決


『トーカートゥーン』第19作、ベティ・ブープが登場する4番目の作品。作画はフライシャー・スタジオの大黒柱的な存在であるウィラード・ボウスキーと、オット・メスマーのスタジオ出身であり後にフェイマス・スタジオでも活躍するアル・ユーグスター。お馴染みの面々である。

指名手配犯の悪漢ビン坊が列車強盗を企むが、謎の女に作戦を邪魔される。『危険なナン・マグルー』と名乗る彼女は実はビン坊の妻だった。ビン坊は彼女の腕っぷしに敵わず、コテンパンにやられてしまう。ナンはビン坊を尻に敷き、列車を乗っ取ってはるか遠くへと旅するのだった。
相変わらず愉快ではあるのだが、フライシャーお得意のシュールなギャグが少なく、傑作・問題作揃いの『トーカートゥーン』シリーズの中では少し平凡な印象を受ける。
とはいえ『銃』が煙草を嗜んだり、『右に』銃を撃ったのに『空から』牛が落ちてくるといった優れたギャグも幾つかあり、相応に楽しめる作品ではある。機関車がゴム紐のように動く、といった暴走気味のアニメーションは流石はフライシャーと言うべきか。

この作品で何より目を引くのはヒロインであるナンシー・マグルー、つまりベティの声である。
ベティ・ブープの声と言えば一般的にヘレン・ケイン風の甲高い声が定着しているが、今回のベティはあの声とは全く異なる、普通の成人女性の声で登場する。これはこれで色気があって悪くないのだが、流石にキャラクターのイメージと合致しなかったからかこのボイスのベティはこの作品一回きりの登場となっている。