2018年11月17日土曜日

Steamboat Willie(蒸気船ウィリー)

監督:ウォルト・ディズニー
公開日:1928年11月18日
評価:★10


『ミッキーマウス』の伝説


オズワルドを失ったウォルトとアブが新しいキャラクター「ミッキーマウス」を用いて製作した『プレーン・クレイジー(Plane Crazy)』と『ギャロッピン・ガウチョ(The Gallopin' Gaucho)』は素晴らしい出来だったが、配給会社が見つかることはなかった。オズワルドを始めとするそれまでのディズニー製カートゥーンと、一線を画す物がなかったからだ。ウォルトは、さらなる新しい要素を作品に追加する必要があると悟った。
本作の公開前年には、サウンド付きの映画『ジャズ・シンガー』が大ヒットを記録していた。時代はサイレントからトーキーへと移り変わろうとしていた。成功のチャンスとなる新しい要素は、紛れもなくサウンドだったのである。
こうして「ミッキーマウス」第三作の『蒸気船ウィリー』は、ディズニーとしては初めてのサウンド付きカートゥーンとして製作が開始された。
そして、愉快なネズミが主人公の、およそ7分半のこの短編は、伝説となった。

口笛を吹きながら、蒸気船を操縦するミッキー。ところが勝手に操縦していたため船長のピートに叱られてしまう。
蒸気船が港に到着すると、ミッキーが家畜を蒸気船に積み上げる。ミッキーが家畜を運び終わると再び蒸気船が出港するが、ミニーが蒸気船に乗り遅れてしまったのでミッキーは彼女をクレーンで蒸気船へと運ぶ。ところがその拍子に彼女が持っていた楽譜とギターがヤギに全て食べられてしまったのだ。そこでミッキーとミニーはヤギをオルガンに見立てて、ヤギを使って演奏を始める。
ヤギの口から『わらの中の七面鳥』のメロディーが流れ出すと、ミッキーは音楽に合わせて食器や洗濯板、挙句の果てには動物までもを楽器代わりにして大騒ぎする。
ところがこの乱痴気騒ぎをピートに見られたのだから、一巻の終わりである。またしてもピートに叱られたミッキーは、罰としてジャガイモの皮むきをさせられるのだった。

前二作に引き続いて大部分の作画をアブ・アイワークスが担当したと思われるが、ウィルフレッド・ジャクソンやレス・クラークといった若手アニメーターも製作に関わっている。特にウィルフレッドに関しては音楽の知識があったため、本作のサウンドトラックまで担当したという活躍ぶりである。
さて、本作の最大の特徴は、紛れもなく「音楽とアニメーションとの完璧なシンクロ」にある。

本作は決して「世界初のトーキーアニメーション」ではない。実際に1926年にはインクウェル・スタジオ(フライシャー・スタジオの前身)が既にサウンド付きの小唄漫画『My Old Kentucky Home』を製作しているし、本作公開の2ヶ月前にもポール・テリーがサウンド付きのカートゥーン『Dinner Time』を製作している。しかしこれらの作品は、『蒸気船ウィリー』のように音とアニメーションが完璧にシンクロしているわけではなかった。
本作は蒸気船の汽笛とミッキーの口笛から始まるが、どちらもアニメーションと音楽が完全にシンクロしている。ヤギをオルガンに見立てて演奏するギャグは既に『ライバル・ロメオズ(Rival Romeos)』で使用されたものだが、本作ではさらに有意義なギャグとして効果的に用いられている。バケツを叩くミッキーとドラムの音は完璧に調和しているし、スクリーンの観客に向かって鳴き喚くアヒルの臨場感は格別である。
この完璧なシンクロが実現したのは、「バー・シート」や「バウジング・ボール」を作画や録音に用いた事が大きく関係していたという。ウォルトやアブを始めとするスタッフたちの野心と情熱が、カートゥーンに革新をもたらしたのである。

ところが、本作にも欠点がないわけではない。『ギャロッピン・ガウチョ』やそれ以前のオズワルド作品にあったストーリーラインが皆無なのである。
確かに本作はあくまでもミュージカルであり、物語の筋書きは必要ない。つまり「トーキーでないと成立しない作品」なのだが、本作のヒットを機にディズニーではこの後しばらくこういった音楽主体の作品が量産される事になる。ストーリーや視覚的なギャグは二の次になり、音楽に絡めたギャグやダンスが作品の主体になってしまうため、これはどうしても退屈なものになってしまうリスクがあった。
しかし本作には、原始的だが愉快な、音に合わせて絵が動く楽しさに溢れている。家畜を楽器同然のように扱うミッキーも、乱暴だがこの上なく愉快だ。

Down South(1930)
本作は、アメリカのカートゥーン業界に大打撃を与えた。
ディズニーは一躍業界のトップに躍り出ることになり、1930年代前半までに「ミッキーマウス」はアメリカン・カートゥーンのシンボル的存在になった。
そして、幾多ものスタジオがディズニーの作風(そしてアブの作画スタイル)に影響を受けながら、独自のスタイルを築いていった。「アメリカン・アニメーションの黄金時代」の幕開けである。
本作の影響の強さは、チャールズ・ミンツのスタジオにてディック・ヒューマーらが製作した『Down South』という作品からもよくわかる。ヴァン・ビューレンやハーマン=アイジングの作品も、1930年頃はミッキー調の快活なキャラクターで溢れかえっていた。
一方サイレント時代におけるカートゥーンの王者だった「フィリックス」とパット・サリヴァンはカートゥーン業界の玉座から転がり落ちてしまい、その栄華を取り戻すことはなかった。同じく業界トップから転落したフライシャー兄弟は…業界トップに返り咲く事は決してなかったが、1930年代を通じてディズニーの強力なライバルとして君臨し続けたのである。

本作は、様々な意味でアメリカン・アニメーション史の転換点となった作品である。そして公開から90年を経た現在も決して色褪せる事のない輝きを放ち続ける、まさに「伝説の作品」なのだ。


(上記の公式動画では、ミッキーが豚のお母さんを楽器に見立てるシーンがカットされている)

収録DVD:ミッキーマウスDVDBOX vol.1
     オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット 限定保存版

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